2019-01-01から1年間の記事一覧
下離宮の参観を終え、松並木を眺めながら中離宮へ向かいます。 明治天皇が行幸する際に、赤松を植樹し、砂利を敷き整備したことから御馬車道とも呼ばれているそうです。 この辺りは、田園風景が広がり、比叡山、東山、北山が一望できます。 離宮内には田んぼ…
2015年の12月、修学院離宮の見学をしてきました。 なかなか予約が取れなかった離宮ですが、秋の紅葉シーズンが終わったあたりで、運よく参観予約の空きがありました。 修学院離宮は、17世紀中頃、1653年(承応2年)~ 1655年(承応4年)に後水尾上皇の指示で…
今回は、岩佐又兵衛の三大絵巻を同時公開ということで、前々から楽しみにしていました。 展覧会は、もちろん撮影禁止なので、私が事前に購入したMOA美術館所蔵「岩佐又兵衛作品集」から何場面が紹介します。 『浄瑠璃物語』 奥州へ下る牛若と三河矢矧の長者…
2014年の秋のことですが、熱海のMOA美術館で開催された岩佐又兵衛の「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」という展示会へ出掛けて来ました。 岩佐又兵衛といえば、今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも一躍有名になった黒田官兵衛を有岡城に幽閉した荒木…
鳳来寺の表参道の「歴史が歩いた坂道」には、「浄瑠璃姫と義経」の彫像があります。 平成8(1996)年3月に整備され、彫像は、鈴木武右衛門氏によるものです。 義経 浄瑠璃姫 数年前に見たときも思ったのですが、あまりに芸術的過ぎて、理解できなかったので…
蒲原の新栄六本松公園の北側に、浄瑠璃姫の墓、浄瑠璃姫の碑、吹き上げの六本松があります。 浄瑠璃姫は、義経を追ってここまで来ましたが、力尽きてここ吹き上げの浜で亡くなったといいます。 里人は浄瑠璃姫を哀れんで丁重に葬り、塚の上に目印として松を6…
蒲原の駿河モータースの横に源義経硯水跡があります。 ここは蒲原木之内家菩提所で、1167年(仁安2年)に作られ、蒲原一族初代・清實以後と浄瑠璃姫等の五輪の墓が建てられました。 1174年(承安4年)義経が東に下る時にこの菩提所の涌き水を使って浄瑠璃姫…
東海道本線「新蒲原駅」より徒歩15分ほどのところにある光蓮寺に向かいました。 光蓮寺は1620(元和6)年に開山した浄瑠璃姫を供養するお寺です。 浄瑠璃姫の供養を行っていたのは、もとは慶徳寺というお寺でしたが、慶徳寺から浄瑠璃姫の位牌を引き継いだの…
本願寺三河別院は、浄瑠璃姫が観月の宴に興じたところとされ、姫の死後、侍女・更科がここに草庵を営んで菩提を弔ったといいます。 境内には観月遺跡と更科の墓と伝わる供養塔があります。 ブログランキングに参加しています! 応援よろしくお願いします に…
兼高長者は、身を投げた浄瑠璃姫を誓願寺に葬り、十王堂を建てました。 本堂 十王堂 そして、義経と浄瑠璃姫の木像を作り、義経が姫に贈った薄墨の笛、姫の鏡とともに堂内に安置したといいます。 2005年に浄瑠璃姫と義経のウォーキングに参加した時に、その…
浄瑠璃姫が、平家の目を逃れ、隠れ住んだところに建つ寺院で、通称・浄瑠璃寺と呼ばれます。 元は岡崎曲輪(くるわ)付近にあったといいます。浄瑠璃姫の父・兼高長者が瑠璃光山安西寺を開いたのが始まりで、後に光明院浄瑠璃寺に改称したとされました。義経…
国道一号線沿いの岡崎公園大手門に入る手前の左側にも「浄瑠璃姫の墓」が残っています。 なぜここにも? 岡崎城天守閣の北に、浄瑠璃姫が幽閉されたとというところがあるそうなのです。 そこが現在どこに当たるのかわかりませでしたが。 また、浄瑠璃姫の墓…
浄瑠璃姫の菩提を弔うために、侍女の十五夜は、冷泉という尼になり、浄瑠璃姫が身を投げた淵の川岸に庵室を結び、冷泉寺としました。 後にこの地に竜沢永源が、浄瑠璃姫の供養のため、創立したのが成就院とされています。 境内の墓地には浄瑠璃姫の墓、 侍女…
岡崎の安心院の創建は寿永年間(1182~83)、義経が浄瑠璃姫の菩提を弔うため開いたのが始まりと伝えられています。 義経の念持仏で浄瑠璃姫が賜ったと伝わる十一面観世音菩薩坐像を安置しています。 当初は妙大寺という七堂伽藍が立ち並ぶ大きな寺で…
浄瑠璃姫が身を投げたという菅生川沿いの浄瑠璃広場には、浄瑠璃ヶ淵跡の句碑が建っています。 浄瑠璃ヶ淵跡 今からおよそ800年程前、鎌倉街道矢作の宿に「浄瑠璃姫」というそれは美しい姫がいました。姫の出生については諸説がありますが、何れにしてもこの…
六所神社は37代・斉明天皇の勅願により、奥州の六所大明神を歓請し創立したと伝えられています。 松平氏が三河入国以来、代々崇敬厚く、徳川家康の産土神として江戸幕府の厚い保護を受けました。 楼門は、4代将軍・家綱が寄進したものといわれています。 現…
岡崎の浄瑠璃姫伝説を辿ってみました。 浄瑠璃姫三河国矢作(やはぎ)地方などの伝説や《浄瑠璃物語》に登場する女主人公。《浄瑠璃物語》によれば,源中納言兼高と妻の遊君矢作の長者とが峰の薬師(鳳来(ほうらい)寺)に申し子をして得た子。14歳のとき,金…
天守閣は、2階から4階までが江戸時代の岡崎を紹介する歴史資料館になっています。 5階は展望室となっており、三河平野を一望することができます。 家康はいつも、この天守閣から北に見える徳川家菩提寺の大樹寺を拝したといわれています。 木々の間に大樹寺…
岡崎城は、愛知県岡崎市康生町にあった城で、松平元康のちの徳川家康の生地です。元康は、岡崎城内の坂谷邸で生まれましたが、6歳で故郷を離れ、織田家、そして今川家の人質として少年期を過ごしました。岡崎城の別名は「龍城」。1452年(享徳元年)または1…
松平八代墓 元和元年(1615)徳川家康は、先祖松平八代廟所を寺内に建立しました。 元和3年には家康の一周忌が営まれ、現在の墓の姿が整ったとされます。昭和44年には岡崎市民が家康の徳を顕彰して遺品を納めて墓と碑を建立しました。 徳川家康の墓 ブログラン…
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで、今川義元を失った今川軍は潰走、拠点の大高城で織田方の水野信元の使者からの今川義元討死の報を聞いた松平元康(のちの徳川家康)は、岡崎の松平家の菩提寺・大樹寺に手勢18名ととも逃げ込みました。しかし寺を囲んだ追撃…
滝山寺境内の滝山東照宮は、三代将軍・徳川家光の命により勧進されたものであり、日光、久能山とともに、東照宮三宮とされています。 正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命…
滝山寺は1300年前に開かれた古刹で、天武天皇の勅願により薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まりとされています。山号を「吉祥陀羅尼山」、院号を「薬樹王院」といい、熱田大宮司家、源頼朝の鎌倉幕府、歴代の足利氏、徳川家の恩恵を受けてきました。…
岡崎市欠町石ヶ崎の八柱神社には、徳川家康の妻であった築山御前の首塚があります。 築山御前は、今川方の出身であり、織田信長に武田方と内通しているとのとの嫌疑をかけられ、殺害されてしまいました。八柱神社拝殿 八柱神社本殿築山御前首塚 築山御前は関…
愛知県岡崎市朝日町にある若宮八幡宮には、徳川家康の長男・徳川信康の首塚があります。 信康は、永禄2年(1559)3月6日、駿府で生まれました。今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごし、桶狭間の戦いの後に徳川軍の捕虜となった鵜殿氏長・氏次との人質交換に…
随身門をくぐります。 拝殿 寛永13年(1636)三代将軍・徳川家光によって本殿に増設し、造営されました。(国の重要文化財) 同じ年に日光東照宮も改築完工されています。 本殿は、慶長16年(1611)徳川家康によって造営されました。権現造りの本殿は入母屋…
松平家の4代親忠が、文明2年(1470)に松平家(徳川家の祖)の子孫繁栄・武運長久の守護神、氏神として伊賀八幡宮を創建しました。 5年後に氏寺(菩提寺)として創建の大樹寺と共に、江戸時代にわたっても将軍家の厚い崇敬をうけました。 天下人となった徳川…
瑞輪寺の墓地には、江戸水道の開設者である大久保主水の墓があります。 大久保主水墓(都旧跡) 台東区谷中4丁目2番5号 瑞輪寺 名は忠行、または藤五郎と称す。三河国の武士で、徳川家康に仕え三百石を給されていた。一向一揆のときに足を負傷してから戦列…
瑞輪寺は、日新上人により開山された日蓮宗のお寺です。 日新上人は徳川家康が幼少の頃、学問教育の師範でした。 沿革1591年(天正19年) - 日本橋馬喰町に瑞輪寺が創建される。1601年(慶長6年) - 神田に移転。1649年(慶安2年) - 現在地に移転。1856年(…
延壽寺(えんじゅじ)は、明暦3年(1657年)覚性院日勤を開山に創建された大乗山延寿院を起源としています。 宝永年間に身延山久遠寺の末寺となり、宝暦5年(1755年)に寺号を六浦山延寿寺に改め、身延山の宿坊山本坊より日荷上人像を勧請しました。 明和9年…